琵琶湖で津波の可能性
▲平安末期のM7超大震災
今日の中日新聞の一面です。
平安時代末期の1185年8月に、堅田断層が活動した大震災で琵琶湖にも津波が起きていたことがわかった。
その分析に至ったのは琵琶湖最北端にある塩津港遺跡の調査から。
塩津港遺跡は琵琶湖の最北端から100mほど北にある平安時代後期の遺跡。
そこの神社跡の至る所で、
(1)地震による液状化で砂が地上に噴き上がる「噴砂」跡が見つかったこと。
(2)出土した掘っ立て柱約20本が一様に北側(湖から北に向かって)に傾いていること。
(3)神殿跡北側にある堀からは5体の木彫りの神像が見つかったこと。(神像は神社で最も大切に扱われ意図的に掘りに捨てられたとは考えにくい)
この3点から津波が発生したと考えられるそうです。
関係者の横田さんによると「南側の琵琶湖から押し寄せた津波が柱を傾け、神殿もろとも神像が北の堀に落ちたのではないかとみている」とのこと。
また、神社跡の標高は現在の琵琶湖水面よりも90cmほど低いため、この地震で地盤沈下し湖底に沈んだと推測されたと推定される。
▲塩津港遺跡
▲パンフレット
パンフレットの真ん中に斜めに走っている流入河川の右岸にある干拓されたところが塩津港遺跡です。
こういった調査結果は今後の防災対策にぜひ役立てていただきたいと思うとともに、僕の湖という概念を壊してしまう琵琶湖という湖にますます惹かれてしまいそうです。
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